もういいや
ある夜、本当に思い切った。
自分の音楽なんて誰も聞いてくれない。どうせ売れない。全部自作して——プログラムでプロンプト作って音源作って——馬鹿すぎる自分。 じゃあもう好き勝手にやって終えるか。仕事に使えるようにして実験して、私の夢はそこで終えよう。
思いつくこと=間違い=売れない=才能なし=あきらめろ。
でも子どもには「諦めちゃいけない」と言っている自分がいて、その自己矛盾に吐き気がした。
日本には本当に優れた人がたくさんいる。尊敬に値する人たちが。自分はダメだけど、それは変わらない事実として置いておく。
仕事——桃太郎の再現
そのタイミングで仕事が来た。
YouTube広告の動画制作。「ほんとうの日本昔話を作るプロジェクト」——桃太郎の原典に忠実な再現。 商業的な再解釈ではなく、原作に遡ること。そのための素材調査が始まった。
桃太郎の原典はどこにある。神楽の譜面はどこで手に入る。 江戸時代の雅楽はどんな音だったか。日本古来の演奏はどの形式で残っているか。
調べていたら、ある場所に辿り着いた。
国立図書館で見つけたもの
国立国会図書館デジタルコレクション。
信じられないくらいのコンテンツが、無償で使えた。
- —桃太郎 原典テキスト(複数バージョン)
- —今昔物語集
- —古今和歌集
- —万葉集
- —百人一首
- —雅楽 楽譜・解説
- —神楽 記録
- —民謡・地域歌謡
- —三味線・琴の奏法記録
- —浮世絵・版画(高解像度)
- —江戸期絵巻
- —明治期写真
- —工芸・染色図案
- —民俗学フィールド記録
- —方言・口承文芸
- —祭祀・儀礼記録
- —地誌・風土記
著作権保護期間満了・パブリックドメイン、または CC BY(クリエイティブ・コモンズ表示)で提供。 商用利用可能。
桃太郎の原作が複数バージョンある。神楽の記録がある。古今和歌集がある。浮世絵が高解像度で落とせる。 民俗学のフィールド記録がある。
全部、無料で、商用利用可能で、今すぐ使えた。
何がある——リスト
「私の音楽」の設計原則として、#011で書いた和歌の3概念——間・余情・本歌取り——を思い出した。
| 設計概念 | NDLにある対応素材 | 適用 |
|---|---|---|
間(ま) 沈黙・空白・拍子の外の時間 | 雅楽の「拍子」記録、神楽の間合い譜、能楽の息の記録 | リズム設計の参照原典 |
余情(よじょう) 言い切らない美学、残響の意図 | 古今和歌集・新古今集の歌論、本居宣長「もののあはれ」論 | ミックスの倍音設計・リバーブ哲学 |
本歌取り(ほんかどり) 古典を引用し新作に重ねる技法 | 万葉集・百人一首原典テキスト、民謡採譜記録 | サンプリング・引用の文化的根拠 |
反復と変容 サイケデリック・テクノの核 | 祭囃子・神楽の繰り返し構造記録、祭祀音楽の周期性分析 | トランス設計の原型 |
設計概念と素材が、完全に一致していた。 偶然ではない。マスタリングエンジンの設計原則がそもそも日本古来の音響美学から導かれていたのだから、 その原典がそこにあるのは当然だった。気づくのが遅かっただけだ。
偶然ではなく必然
「こ・・・これだ」と思った瞬間の正体を、後から分解すると3つある。
LANDR・eMastered・iZotopeが持っていないもの——それは「千年単位の日本音響美学のアーカイブを設計原則にしているエンジン」だ。これはLLMエンジニアにも音楽学者にもDJにも再現できない交差点だ。
本歌取りの技法でサンプリングするとき、原典が無償で使える。桃太郎を再構成するとき、原作テキストが複数バージョンある。「自分で全部作る」という制約が、ここで消えた。
日本のコンテンツ産業——アニメ、ゲーム、広告——が「ほんとうの日本らしさ」を求めているとき、その原典アーカイブを音楽に変換できるエンジンを持っているのは自分だけだ。これはビジネスとして成立する。
「才能がない」は本当のことかもしれない。でも「誰もいない場所にいる」も本当のことだった。 その2つが同時に成立する場所が、ここだった。
今ここにいる理由
放棄した夜の翌朝、調べものをしていたら、答えが来た。
それ以降、2つのことが並行して動き始めた。 一つ目はマスタリングエンジンの再設計——日本音響美学を設計原則として明示的に組み込む。 二つ目はコンポーザーとしての方向確定——DJではなく、NDLのアーカイブを素材にした制作者として。
このdev logはその記録だ。
#001から#009の技術記事は、この「こ・・・これだ」の後に来る「エンジン側の記録」だ。 絶望してから発見するまでが#010-#013。 発見の後に何が起きたかが、残りのすべてだ。